本当の戦争の話をしよう

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

実際にベトナム戦争を体験した作者の短篇集。そうはいっても普通の戦争小説、ましてや反戦小説とは全く異なる作品群。ベトナム側から同戦争を描いたバオ・ニン『戦争の悲しみ』もかなりヘンな作品だったが。

もちろんここで描かれるのは戦争への憤りや反戦のメッセージあるのは間違いではないのだが、常にクローズアップされるのは戦争という巨大な異質性、またはその途方もない不条理に接した弱者たちだ。兵士たちの心の内の歪みをダイレクトに描くことで、作品に強大なヴォイスが備わっている。
「私が殺した男」を呆然と見つめ続ける兵士、通常ではありえないような光景が次々に現れる。または「兵士たちの荷物」では武器や食糧の重量をグラム単位で細かく綴りながらも、全く別種の重みが兵士たちに加えられていく。または、戦争の恐怖や怒りよりも先に、爆撃のなかにグロテスクな美をつかみ出してしまう表題作。人間の理性をぶっちぎるような異様さや矛盾が、当然のように語られる。ティムの死んだ兵士仲間が、別の話で生きているときのことが描かれたり、時空も超越している。ティムの周りのものは、全てがゴーストのようだ。でも、それが当然だろうと言われたら、反論できない。それほどに凄まじい。
「本当の戦争」とは何か? という問いが作中で繰り返される。また、戦後に娘から「パパは本当に戦争で人を殺したの?」と尋ねられもする。直球でヘビーな質問だ。作品では嘘っぱちとも語れば、ラブ・ストーリーやゴーストストーリーであるとも語る。質問への回答への照れや誤魔化しが含まれているわけではない。ただ、ティムが体ごとぶつかっていく。
戦争小説でありながらも、現実と幻想が同質であることを早々と看破してしまったような奇妙な作品群。奇想小説や幻想小説好きにも強く勧められ作品ではないだろうか。

結局のところ、言うまでもないことだが、本当の戦争の話というのは戦争についての話ではない。絶対に。それは太陽の光についての話である。