赤い竪琴

赤い竪琴 (創元推理文庫)

赤い竪琴 (創元推理文庫)

津原泰水の本が新刊で出て、文庫にも落ちて……素敵な時代になったものです(まあ、津原作品は読み始めたばかりだけど)。あとは、『ペニス』とか『少年トレチア』が復刊されれば完璧なのですが。
氏には夭逝した作家・画家村山槐多のパスティーシュ作品があるが、こういった天才をモチーフにした作品が抜群に上手い。本作で描かれるのは二次大戦で夭逝した詩人の寒川玄児と、彼が愛する女性にあてた日記帳。そして、孫にあたる古楽器職人の孫寒川耿介と、亡き祖母のもとから出てきた日記帳を彼に返そうとするデザイナーの入江暁子。単純に「天才」の一言で説明した気にならずに、ポーのような詩を載せたり古楽器の音を文章化しているのが、当たり前といえ素晴らしい。
津原作品の文章には並々ならぬものがあるが、他の作品のように練りこまれた濃密さは皆無。洒落た恋愛小説ということで、適度にぬけた風通しのよさがある。時代を超えた恋愛を絆という大仰な物語を、硬筆な筆致で的確に切り取っている。派手さはないが、作中の「赤い竪琴」のように端正な佳作だ。

以下、ネタバレ?
ラストで耿介は若年性のパーキンソン病を抱えて、イタリアへと単身渡る。恋愛は成就されず、しかし先にやや光が見えるようにして物語は終わる。グッドエンドともバッドエンドともとれるオチとも解釈できるオチだが、その先はないものか? 気になるのはラストに至る直前の暁子の「私の幻聴は日常化している」とある、そして耿介からの「新しい療法を試すよう云々」の電話。これはどうにも暁子の一方的な妄想、「信頼ならざる語り手」として解釈できる。そう考えると、オチはやや苦いものに思えてくる……。
暁子の幻聴のきっかけとなったのは、「吾 永劫に汝がうちに潜まむ」という玄児の詩を読んだことである。第一章の終りで事前に明かされている「のちに私と一体化する人物寒川耿介との、出会いの詳細である」とも附合する。
だが、暁子の幻聴が日常化し始めてから耿介の電話が来るまでは、「千の昼夜」という時をおいている。何故、これほどの長い間待たねばならなかったのか? 耿介が普通に暮らせるのは「あと数年」と漏らしているが、「千の昼夜=あと数年」という見方も出来るだろうか。病気になって精神がおかされた、ないしは死んだ耿介の魂が、幻聴となった暁子の元を訪れた、という考えはあまりに幻想的でロマンチックにすぎるか。しかし、この魂の交感というオチは津原作品としては最高だろう。
まあ、単に穿ちすぎかもしれないし(創元推理文庫での復刊なので、あながち的外れではないと思いたいが)、伏線の読み落としで実際にはオチが一つに絞れるのかもしれない。が、主観の力が客観の世界へと大きく飛翔するのは津原作品にはお馴染みのことなので、そういった意味では他の作品と通底をなしている。あえて語らないことでその幻想小説的な奥深さを見せ付ける、誠に素晴らしい作品だ。

「なぜ私たちが苦しめ合えるのか不思議です。不可解です。このさい恨ませてくれませんか。行ってしまうまで、私をもっと翻弄してボロ布みたいに捨ててくれませんか。そうしたら、すこしは嫌いになれる」