死者の軍隊の将軍

死者の軍隊の将軍 (東欧の想像力)

死者の軍隊の将軍 (東欧の想像力)

イスマイル・カダレよ、なんとかノーベル文学賞とってくれんやろか。別にこの賞の権威的な側面はどうでもよくて、絶版本を復刊してほしいだけなのだが。そう思ってるファンは数少なくとも、結構いるはずだ(と信じたい)。
第二次大戦中に戦死した自国軍兵士の遺骨を回収するために、某国(作中で明言されないが、どうやらイタリアらしい)将軍がアルバニア(カダレの故国)を訪れる。この任務に誇りをもっていた将軍が、作業が上手く進行せずにトホホとなる物語だ。近代的な文明国の代表たる将軍の目を通してアルバニアは野蛮な国だ、と描いてしまう辺りはなんとも自虐的だが、カダレはこれをニヤニヤしながら執筆したのではないだろうか。
兵士がどこに埋葬されているかを大体記録した地図を持参していても、第二次大戦から20年経っての任務だ、なにもかもが上手くいかない。現地の作業人とも上手く意思疎通が出来ない、掘っても掘っても遺骨が見つからない、挙句の果てに別の作業人たちに先に越されているといった不思議な事態が頻発し、作業は難航。「雨と死も至るところに」あるという雰囲気が非常に効果的に描かれている。雨に限らず、霧や汚泥、曇天、寒さといった陰鬱とした空気が累積し、徒労感に拍車をかける。
こうした陰鬱なアルバニアの地を掘り起こす作業が、次第にその国の血塗られた歴史に触れることへと繋がり、死者の声に耳を傾けることになっていく。面白いことに多くのアルバニア人に対し、某国側の人間は「将軍」「司祭」といった次第で名前が明示されないのだが、死者たちもまた「認識票」の番号で判別されるだけだ。アルバニア側の憎悪の塗れて、また戦争に対する自国の認識にズレを感じた将軍は、終盤決定的なまでの孤絶状態に陥る。この将軍の宙ぶらりんな感じがまさしく死者たちの存在と重なってくる。
アルバニアのじめじめした雰囲気が絶妙に描かれているのに対し、作品自体は悲しいまでの渇いた自虐とアイロニーに満ちている。なんとも不思議な作品だ。

彼は死せる者たちの将軍になっていた。だが今夜こそは奴らに立ち向かうのだ。そうだ、叛乱だ。