戦争の悲しみ

暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

バオ・ニン『戦争の悲しみ』

アメリカ史上最大の汚点、ベトナム戦争(まあ、近年また色々とひどいことになってるけど)。これを機にアメリカのハードボイルド小説が、単なる強い男やマッチョイズムだけのごり押しが出来なくなって、心や過去に弱みを抱える探偵たちが多く出てくる(ネオ・ハードボイルドね)。こういった作品はぼちぼち読んではきたものの、これに関する戦争小説(ティム・オブライエンとか)は未読。ましてや、ベトナム人の書いた作品となると、言わずもがな。ということで、『戦争の悲しみ』を読んだ。
戦争という強烈な体験を基にしていると、典型的なまでにリアリズムの作品を想像してしまう。それはそれで間違いではないのだろうが、叙述の仕方は結構狂っていて、予想とはかけ離れたものに出会うことになる。
抗米最前線で戦ったキエンによる回想というスタイルをとってはいるのだが、視点は戦前(戦いに身を投じるまで)・戦中(戦争体験)・戦後(遺体の回収や小説の執筆)と、時間軸は常に不定で揺らぎ続ける。こうした混沌とした叙述が、心を内から引き裂く戦争の影響を思わせるようで怖い。“意識の流れ”文体の草創期(?)のウルフ『ダロウェイ夫人』にも、第一次大戦でおかしくなってしまった青年のセプティマスが登場するが、これに近しいものを感じた。
ベトナム人のファンやヴァンやタインといった名前が記号っぽくて覚えにくいというのも一方的でひどい意見ではあるが、彼らは皆多くの出番を持たずして記号のように消え去っていく。個人が「個」たる存在さえ与えられず、不条理な戦いのなかから無念な声が聞こえてくるようだ。小さな小さな、しかし決して忘れてはならないような数々のエピソードが集積を重ねていく。
一方で、キエンの恋人のフォンにしても、この作品においては重要な立居地にありながらも、戦争という巨大な不条理の前にはただの記号に過ぎないのか? いや、それを否定するためにも、物語は最後に「戦前」と「戦中」の境目、キエンとフォンの間に決定的な傷を作り出した時へと遡行していく。これは国と国、個と個、そして男と女の間の傷を抉り出すことで、さらに前へと向かって歩を進める。

彼の脳裏に立ち現れる過去の事物と人間の連鎖の中で、彼の精神は絶えず復活を繰り返すだろう。キエンは新たな人生の道を見出したように思った。戦争の悲しみによって消し去られた青春は、その新たな、過去への人生の途上で蘇るかもしれなかった。