やし酒飲み

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

アフリカの日々/やし酒飲み (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』

酒飲んで酔っ払いながら読んだら、この作品の酩酊感が増すだろうかと思った。が、しかしこの作品だけで十分イケるな。ガツンと一発、脳髄で吹っ飛んで笑いがとまらない。それほど暴力的なまでにパワフルで、しかもアホ。
死んだやし酒造りの名人を取呼び戻すため、「やし酒飲み」はジュジュ(呪物)と知恵を駆使して有象無象の怪物、幽霊、鬼神のひしめく未踏のジャングルを闊歩する、オワリ。いや、あらすじ書くのも簡単というか、あまりの単純さ故に書いても意味がないというか……。

酔っ払い爺のほら吹き話といった感じだが、その世界のトチ狂いぶりが凄まじいだけに、作品を盛り上げるための脚色が全くといっていいほどに無い。骸骨が登場したら「骸骨」の二文字で説明は足りるし、死者も「死」と書いておけばそれで足りる。そういった世界を成り立たせるための、文体はあまりにぶっきらぼうでごつごつしている。小説は描写であるということへの、究極のカウンターパンチのように思えるが、チュツオーラにそういった発想があるかどうかは甚だ疑問だ。
「わたしたち」はジュジュによって鳥や木の人形への変身を繰り返す。また、死者がどういったものであるのかもよくわからない。この変身と死者のあり方がこの作品の二つのエレメントになっているようだが、これがどこまでアフリカの民話や伝説を下敷きにしているのだろうか。アリだな、と読者に思わせてしまった時点で、もはやそれはアリだから別にいいが。
これは「ブンガクムツカシイ……」的な意見を木っ端微塵に打ち砕く作品でもあるだろうな。だったら、これは文庫にして本読みだしのガキんちょも気軽に手に取れるようじゃなきゃダメだよね。

わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。