通話

通話 (EXLIBRIS)

通話 (EXLIBRIS)

チェーホフカフカボルヘス、カーヴァーときて、さらにはウディ・アレンタランティーノとずいぶん豪華な賛辞。でも、正直言うとそういった作家らしさはあまり感じなかった。ボラーニョの知の多くが本によってもたらされてきたというボルヘス的背景があっても、そういった点が強調されるわけではないし。タランティーノ的粋の良さとかカフカ的不条理(というのも、正直よくわからないのだけど)の片鱗は感じるが、特別そういった作家を感じさせるわけではない(チェーホフとかカーヴァーには近いのかもしれないけれど、あまり読んでないからわからない)。むしろボラーニョ自身、そういった「らしさ」を拒絶するようなところがあるかもしれない。また南米作家「らしさ」というのも少々稀薄だろうか。

チリのアジェンデ政権やクーデタという背景が語られはするが、ボラーニョの作品や登場人物にはそういった事情すら遠い。あるいはあまりに日常化してしまっている。実際、こうした歴史的背景は本作を読むにあたって、ほとんど不要な知識にすら思われる。作品発表の場がなくなった三流作家も、ホームレスのおっちゃんも、ポルノ女優もただただ生きるので必至だ。状況はあまりに絶望的で悲惨で、救いもない。いちいち世界に毒を吐いたり、アイロニーで抵抗する暇などありはしない、せいぜい自虐趣味にふけるので精一杯だろう。

闇の現代史を扱った第二部の「刑事たち」や、女性たちのたくましい生活を描く第三部「アン・ムーアの人生」も面白いが、個人的なツボは第一部の「通話」。スペインに亡命中の作家が市が主催する賞に小説を送りまくる「センシニ」のたくましさ。駆け出し作家がある批評家に被害妄想的自虐を覚える文学の冒険名題?)のバカバカしさ、などが鮮明な印象を残す。

個人的には十分に楽しめきれなかったのだけれど、近刊予定に入っている同作家の『野生の探偵たち』が早く読みたい。コルタサル『石蹴り遊び』を思わせる複雑な構成とか、ひょー!

ここまではありふれた話だ。悲惨ではあるがありふれている。