わたしを離さないで

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

大蟻食様のように泣かせ系としてけなすつもりはないが、イシグロに対してちょっと苦手意識を感じた作品。『日の名残り』も傑作だとは思いつつも、決して好きな作品ではないので、それに近い意識だろうか。この変にこなれた土屋政雄訳が鼻につくということかもしれない(というか、結構それは大きいと思っているが)。

メインの大ネタが有名すぎて、それ故に「このミステリーがすごい!」の10位にランクインしている。まあ、この作品の魅力にこの○○○○ネタを事前に知っていても問題ないが、一応ふせておく。主人公はよき「提供者」と呼ばれるキャシー・H、彼女のへールシャムという寄宿舎での仲間との生活を回顧するかたちで物語は進んでいく。
彼らはなぜその場所に集められているのか、それを管理・教育する人間は何者なのか……と多くの謎があるのだが、物語が進むごとに徐々に解かれていく。このミステリ的構成の見事さや子供たちの切実さが滲み出る端正な語り口、また子供たちと大人の側の世界との間に線を引いて、温度差を表現する筆致……いずれも見事すぎて、上手いとしかいいようのない作品。あまりに上手いせいか、これを読んで「泣ける」などという感想は全く思いつかなかったし、今も全く「泣ける」感じではない(別に「泣ける」をバカにしているわけではないし、そういった読者を否定するつもりは毛頭ない。要するに、それだけ上手いのだ)。

話も近未来的なパラレルワールドで、理想主義と現実主義とのバランスという問題も含んでいる(英国の小説って、そういうのが多いのだが)。SFとしてもミステリとしても、色々な形で言及することが出来る傑作。個人的に苦手意識を感じるのも、このあからさまに上手いのがイヤなのかもしれない。もっと技巧が目立っていないのがいいのかどうなのか……とりあえず、苦手な傑作。次は『わたしたちが孤児だったころ』か『充たされざるもの』だろうか。こっちはあまり苦手な匂いがしないが……。

「追い風か、逆風か。先生にはそれだけのことかもしれません」とわたしは言いました。「でも、そこに生まれたわたしたちには人生の全部です」