マイケル・K

マイケル・K (ちくま文庫)

マイケル・K (ちくま文庫)

内戦下の南アフリカ、母親を手押し車に乗せて騒乱のケープタウンから、地元の農場へと逃げようとするK。一応舞台は現実を踏まえているようだが、実際に出てくる固有名詞は地名くらいのもの。このクッツェーの世界はどこにもない世界のようであり(イメージ的には『北斗の拳』?)、またどこにでもある世界のようでもある。暴力や差別の過剰さが寓話じみて、それが幻想小説の域にまで突き抜けた恐ろしさがある。

Kが母を故郷にまで連れて行く作品かと思いきや、物語開始早々に母は死ぬ。そして、勝手に燃やされて、遺灰だけがKの元に遺される。それでもKの彷徨は続き、空き家、労働キャンプ、収容所と転々としながら、農場へとたどり着く。そこで遺灰を撒いた農場で、野菜を作りながらKは喜びを得る。第二部からは、一転やせ衰えたKの摂食障害を「治療」する支配者の側へと視点が移るが、そこで互いに「理解」することの困難が頂点に達する。

「土」と共に生きる野性的なK、彼を理解できない/しようとしない支配者側は彼を「石」のようにたらいまわし、縛り付けるための「鉄」の掟がある。こういった比喩表現はいかにも『鉄の時代』を思わせるが、両者の立場を上手く表現している。支配する側(白人とも言えるが)から見れば、Kは道を敷いていくための障害物(石」でしかない。このコミュニケーションの断絶と己の居場所の喪失という点で、この物語がカフカ『城』とリンクする。摂食障害を起こしたKに対して食事を与えることしか出来ない医師と、彼らへの隷属を拒み「土」の元へと帰っていくK。安易な「理解」やハッピーエンドは拒否したまま物語は終わるが、ラストでKが帰っていく場所は初めとはちょっと違っている。

この強固な物語も読者の安易な「理解」を拒否しているようにすら感じられるが、このKのあり方は衝撃的だ。この尋常じゃない精神と口唇裂という肉体的ハンデを伴いグロテスクにすら感じられるKが、この過剰な世界のなかで自分の居場所を探し続ける彷徨には、ある種の神々しさすら思わせるのだ。

自分は人を助けるかもしれない、助けないかもしれない、そのときになってみないとわからない、どんなこともありうるのだから。自分には信念はないような気がした。いや、助けるということについての信念がないようだ。たぶん俺は石だらけの土地なのだろう。