怪しい来客簿

怪しい来客簿 (文春文庫)

怪しい来客簿 (文春文庫)

戦争や戦後の体験を中心にした色川武大阿佐田哲也)の短篇集。過去を回想するに、印象深い友人・知人や肉親、歴史の流れに消えていった当時の芸人を思いながら、むしろ色川を訪れる過去からの「来客者」との邂逅の痕跡に対して、徒然なるままに筆を滑らしたといった印象さえ思わせる。エッセイともなんともいえない不思議な作品だ。

色川は戦争体験の回顧に浸るでもなく、批判的なメッセージをこめるでもなく、強い上昇志向があるでもなく、時代の流れに消えていった敗者に過度に共感を寄せるでもない。むしろ、つまらない詮索など全て吸い込んでしまうブラックホールのようでも、過去をただただ吐き出すだけのホワイトホールのようでもある。
作中で己のことを「劣等生」と評しているが、色川の視点は常に低みにある。そのせいか物語は死の世界ともゆるやかにつながっている。「墓」ではなくなった叔父が「私」の元を訪れる。また「空襲のあと」では、万年床で「私」はウメさんのぐにゃっと柔らかい、しかしごりごりした顔を踏みつける。戦争の最中でも「笑い」で精神のバランスを保とうとする友人の「大滝」も、どこか東欧的なアイロニーを感じさせる(「門の前の青春」)。

皆足りないものを埋めるように寄り添うようにしつつも、決して馴れ合うようにはならない、人と人との不思議な間が垣間見える。物語というよりはなんとなく筆を走らせた、ジャズでいうビバップの即興演奏めいた作品集だが、どこにも中心を定めない本作の魅力でもある。時空にまかせて伸び縮みする自由闊達な文章も素晴らしい。

川上弘美のエッセイ集『あるようなないような』で紹介されていた作品だが、川上や内田百輭が好きなら、是非とも薦めておきたい。

何にもすることがないし考えることもない。いいことも悪いこともしない。誰を愛することも愛されることもない。水の中に居るような一刻をすごし、いつのまにか私は家のなかに戻っている。
しかし必ず彼は門の前に来ているので、次の夢の中で私は門のあたりを注視する。彼の姿がないと、もう二度と現れるまいと思う。彼の姿をみつけると、失った昨日と会う気になって出て行く。そして二人でじっと塀によりかかったりする。