ほとんど記憶のない女

ほとんど記憶のない女

ほとんど記憶のない女

長ければ30ページを超え、短いと一ページ、または数行とまでなる。長さも文体も不揃いな変な掌編が51ずらりと並ぶ作品集。

長めの作品はちょっと物語的な肉付けがあって、私小説風。だが個人的なツボは短いののほうがはるかに面白い。1〜5ページ程度で収まるのが一番。
「失敗から学べるものならそうしたいが、世の中には二度目がないことが多すぎる」(「二度めのチャンス」)、デイヴィスは一足跳びにいきなり真理を突いてしまう。しかし、そこから結婚や親との死別を持ち出しながら、それを繰り返すには……と話が妙な方向に転がり出す。そして、珍奇なオチをさらりとつける。非常にスマートだ。
どれもこれも暇な時間に頭をこねくりまわした作品といった体裁で、それはエッセイを思わせもする。このひねくれ思考が弱いと、眼も当てられない出来に思えてしまうが、ツボにはまると思わず笑い転げてしまう。
しかし、思いつきや感性に寄りかかっているわけでもなく、理知に走ることもない。細かな妄想具合と理知とのバランス感覚は素晴らしいまでに絶妙。だからこそ面白い。

また、「ある友人」では「彼女という人間は、本人が考える彼女であるだけでなく、彼女の友人たちが考える彼女も彼女なら、彼女の家族が考える彼女も彼女だし、通りいっぺんの知人や見ず知らずの他人から見た彼女もまた彼女だ」といった具合の、同じ語をやたらと反復させる文体も魅力的。さらっと読み飛ばそうとすると意味がつかめないことも多いが、徐々に反復を強めていくことで見事にグルーヴ感が生まれる。言葉にこだわりぬいた訳文も素晴らしい。

好みは分かれかねないのかもしれないが、好きな人はとことん好きになれる作品集だろう。

とても鋭い知性の持ち主だが、ほとんど記憶のない女がいた。