忌憶

忌憶 (角川ホラー文庫)

忌憶 (角川ホラー文庫)

記憶テーマの連作短篇集。三篇共にダメ人間たちの奇妙なロジックと、足元の覚束ない幻惑感を楽しめる。

「奇憶」は中篇「酔歩する男」の姉妹編のような作品。主人公のダメさ加減では集中最強の一編。
とにかく、屁理屈の嵐。自分がダメ人間であると自覚しながらも、ダメなこと全てに理屈をつけてしまう心性。ちょっとバイトに遅刻しそうになったことから、ずるずると譲歩を重ねることで結局バイトに行かないという結論に達するあたり、なかなかにリアリティでいやになる……。
そして、自分のダメさの根源に何がある? という問いから量子力学に達する時点でおいおいと突っ込みたくなるが、それを基に物語はあれよあれよと変な方へと転がり続ける。もともと人間は多元世界で生きながらも、「物心」がつくことで一つの世界に固定されてしまう、という辺りはまさしく小林節

「器憶」は腹話術師(見習い?)とその人形を巡る物語。芸の高みということで、己と人形の人格を入れ替えるという展開はありがちだが、そこから人形と体をめぐる争いへとずるずる引っ張られていくあたりは抱腹絶倒。ラストでありえないオチが待っているが、これは……? と色々悩まされる。
最初から妄想全開なのか、最後の最後である人物の気がフレてしまったのか? はたまた量子力学的に変な世界へトンでしまったのか? と頭を悩ませる楽しみがある。

「垝憶」は『博士の愛した数式』『メメント』のように、前向性健忘症になってしまった男の話。自分の記憶を留めるための手記と、普通の視点とを交互に変えながら物語は進む。
読み進めるうちに、手記に奇妙な記述が現れる。これは一体……と首を傾げるうちに、突然自分が殺人を犯したことがあるという驚愕の事実が。しかし、当然自分にはその記憶はないし、そもそもそれは本当なのか、と物語は錯綜を極める。前向性健忘症という状況的に、自分が誰かに頼らざるを得ないのに、それすら出来ないという絶望的な状況で、男の向かう先は……。こちらでもラストに新たな事実が出て、リドル・ストーリーで幕を閉じる。

いずれもありがちな日常風景から物語は始まる(最後の一編はちょっと違うか)。そこからいきなり異常な状況に放り込まれるわけではなく、皆ひねくれた思考法からSF面へと世界が変貌していく。この展開が秀逸だ。そして、そこで「ハード(肉体)」と「ソフト(記憶)」に関して、考えれば考えるほど作中人物も読者も翻弄されてしまう。であればこそ、SFファンだけでなくミステリ・ファンも必読の奇妙な一冊であろう。

本だ。ソフトとハード、メモリとディスプレイを一体化させた究極の存在だ。