夷狄を待ちながら

夷狄を待ちながら (集英社文庫)

夷狄を待ちながら (集英社文庫)

南ア出身のノーベル文学賞受賞作クッツェーの第三作。

舞台はどことも知れない辺境の地。そこで帝国による夷狄(野蛮人、Barbarians)への支配関係が描かれる。その辺境の町で民政官をつとめる「私」は拷問で脚に傷を負った少女を前にすることで、帝国のあり方に疑問を持ち始める。

西洋の合理主義的や帝国主義、暴力といったものへの批判が描かれるが、事はそう単純ではない。民政官であるはずの主人公もまた、上司から命令をされる、少女を前に何も出来ない、スパイ容疑を受けて拷問されるという過程において、常に支配−被支配の関係で揺れ動く。作中で「恥辱」という言葉が何度も繰り返されるが、その意図することも常に動き続ける。
また少女に対して性欲を覚えるという単純な思考にも流れず、「私」は単なる脚フェチ以上へとなかなか踏み越えていかない。その民政官の悩みの描き方は執拗でありながらも、過度に重たくもならず、意外とさくさくと楽しむことが出来る。

最終的には夷狄討伐に失敗した帝国が崩壊する寸前で話は幕を閉じる。結局何か答えが見つかるわけでもなく、帝国/男性性/西洋の機能は完全に停止したままだが、ラストの茫漠たる風景はとにかく圧倒的だ。終始セピア色の雰囲気を崩さず淡々と物語は進むが、最後の雪景色が物語に新たな色彩を加えているようでいて印象深い。

人々が不当に苦しんでいるとき、それを恥辱と感じて耐えることが、その苦しみを目撃する者の宿命である。