家族八景

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

テレパシーで人の心が読めてしまう七瀬さんは、超能力の持ち主であることを悟られないために、次々に違う人の間を練り歩いている。というわけで、お手伝いさん(女中? 小間使い?)として働く七瀬さんが出会った、八つの家族を描いた連作短篇集。
「内面描写」という言葉もそうだが、普通は人の心や思いは描写で描く(という表現は重複しているが)ものだろうが、七瀬さんの「神の視点」という能力によってそれが「説明」で延々と羅列されてしまう。しかも、全ての人物の内面がである。しかも、それが全ての人物に及ぶだから嫌なものだ。皆が心の中でどす黒いことを考えながらも、表面上は「家族」という共通コードに則っていることがわかる。
その家族のなかに、共通コードをもたない七瀬さんが介入することで、家族が崩壊するというのが一定のお約束。後半からは行く先行く先の家庭で男から煽情的な視線で舐めまわされ、神の視点の持ち主にも疲れてくる七瀬さん自身へと、話の焦点がずれていく。
皆自分の筋を通したり、見栄を張り、自分の欲望を満たすために思考をめぐらし、、と人の醜悪さと家族というお約束空間の都合のよさに呆れるやら何やら。筒井康隆のコミカルで戯画調の筆致ならこれがギャグのようになりそうなところだが、精神的に脆弱な七瀬さんの苦悩が介入してくるので、普通に笑える本にはならない。かなり胸糞が悪くなること必至。というか、なかなかに筒井康隆は鬼畜だな……。
炊事・洗濯の手抜きで徹底的に汚い家族が、七瀬さんの存在によってその醜さを認識させられる「澱の呪縛」、エロ爺から貞操を守るべく戦う水蜜桃、イヤなものは四角形や三角形といった抽象的なものに押し込める画家の内面が、次第に具象化してくる「日曜画家」、テレパシー能力とお手伝いさんであることの兼ね合いのカタストロフを描いた「亡母渇仰」あたりが好み。
この家族のあり方を描いたのが1972年というのだから少し驚いた。家族の解体がもっと深刻になった現代だったら、また少し違った作品になるだろうか。

心に神を持たない七瀬だったが、自らが神にかかわるほどの存在でないことはわかっていた。