ムントゥリャサ通りで

ムントゥリャサ通りで

ムントゥリャサ通りで

宗教学者として世界的に有名なミルチャ・エリアーデ幻想小説。単行本で一六〇ページ程度の短さながら、それとは思わせぬ途方もない物語が異様な密度でぎっしりと詰まっている。それでいながら重たさを感じさせない、希有なる一冊。

教え子の内務省の少佐を訪れた元小学校校長のファルマだが、少佐は彼を知らないという。そして、少佐は幼少期に同級生が地下室の水中に飛び込んだまま消失したという事件について知悉もしているらしい。そのことに興味をもった保安警察がファルマにその物語を語るよう促す。

物語は常に脱線を繰り返す。そして、その脱線を補正するために、また脱線を。時系列もめちゃくちゃ。脱線のための脱線というように、作中人物同様に読者もまたそれに面食らいながら、翻弄されるように不思議な物語を聴かされることになる。
だいたい地下室の水中に飛び込んで消失というのも妙に神秘的だが、それに続く物語も不思議さでは全く負けていない。空中に射上げたまま消えた矢やら、村中の人間をマッチ箱に収めてしまう奇術師、二メートルを越す長身の少女……全くもって行き着く先を知らない。
脱線につぐ脱線で読者の頭が朦朧としているわけでもなかろうに、この時空が自在に伸縮する異様なファルマの物語は、『ムントゥリャサ通りで』を読むという行為にも似た感じを与える。たかだか数十ページ読んだだけでも、それがウン百ページにすら感じられるのだ。不思議だ……まさに巻を置くあたわざる面白さである。
この異様な広がりを見せる物語はラストで一点に収束し……さらに、そこから反転しさえする。徹頭徹尾翻弄されっぱなしだ。まだ一読だが、何回でも読めるだろう。

なんとも奇妙なホラ物語だが、基本的には異界へ、より遠くへといった思いを捨てきれないでいるものたちの物語だ。一部のものには作品世界は容易に時空が歪み異界への道筋を与えてくれるが、そうでない者もいる。皆そこに理屈をつけようと右往左往し、そのことがまた際限なく世界に歪みを与え続ける。異界への扉は何処に……、それとも此処はもはや異界か?

もしいつか、人の住んでいない、水の溜まった地下室があったならば、どんなものか知りませんがあるしるしを探せ、そしてそのしるしが全部揃っていたら、その地下室は魔力にしばられていて、そこからあの世に渡っていける