もののたはむれ

もののたはむれ (文春文庫)

もののたはむれ (文春文庫)

詩人でもある松浦寿輝の短篇集。一つ10ページ程度の掌編が十四作収録されている。

男がふらふら散歩するうちに、頭が朦朧としてきて妙な街に迷い込む……。または、偶然見つけた将棋クラブで毎日将棋を指すが、最後にその店が消える……。といったように、あらすじを紹介するとどれもこれもよくあるようなノスタルジア系統の怪奇短篇のように思える。

が、「異界」に踏み込むにおいて、この「ふらふら」「偶然」をいった感覚が本作では大事だ。いずれも疲れたようにする主人公が夢とも現ともつかぬうちに、異界へと迷い込んでいく。そして、最後ではまた現実へと還っていくものの、世界の見え方が鮮明になっている。

路面電車(「胡蝶骨」)、うらぶれた珈琲喫茶の二階(「並木」)、古ぼけた映画館(「雨蕭蕭」)といった空間がとりわけ好みだ。あるいは「一つ二つ」や「黄のはなの」、「宝篋」のいった作品における言葉遣いも綺麗で好み。この『もののたはむれ』を読むという行為が、作中の異界に迷うという行為とも重なり、読者もまた不思議な酩酊感にとらわれる。

そして、最後の千日手においては、その異界もろとも現実が全て消え失せる。が、そのことによって読者は現実への帰還が可能となる。そして、すっきりとした読後感がいつまでも残る。
読者の前に一瞬だけ現れる空間、これが時間をわずかに固定し、そしていつまでも支配し続ける。

こうした一瞬の幻想劇が好みな人には強く薦めたい一冊。

ものを見ること、今やそれはわたしにとって、艶やかな宝石の耀いで出来た箱の中にその対象を閉じこめることだ。