恥辱

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

ノーベル文学賞受賞作家のブッカー賞受賞作(二度目の)。
帯に「教え子と関係を持った52歳大学教授が経験する果てしない転落」とある。まさにその通りなのだが、むしろ教授が大学を追われ、歳の離れた娘のいる片田舎に身を寄せた後に物語は俄然面白くなる。

主人公のデヴィッド・ラウリー教授は常に自分の欲望(というか、性交)のことしか考えない超俗物。自分が成功者であると見せつけよう見せつけよう……みたいな、恥辱にまみれても動揺しているのを無理に押し隠そうとする。どこかナボコフ『ロリータ』のハンバート・ハンバートを思わせもする。
人生の転落を始めてからは、とにかく様々なパースペクティヴから自分の価値観を揺さぶられ続ける。特に舞台が南アフリカであることは重要になってくる。白人と黒人、都会と田舎、若さと老い、男と女……とりあえず、「支配する側」から「支配される側」へと教授の立ち場が変わってしまう。

しかし、教授同様に娘の考えることもまた理解がしづらい。頻発するレイプ事件でも、娘は口を閉ざし続ける。淡々と状況を受け入れながら、前に進むのみ……。
この点で、革命か抵抗か? といった南アフリカアパルトヘイトという重たいテーマとも重なってくる。が、男性への隷属を受け入れる女性像は、すんなりと理解は出来ない。男性と女性が読むのとでは、また異なった意見も出そうだ。

人生の転落と価値観の翻弄が描かれるのみで、一見楽しい読書は得られないように思える。が、いざ読むと、そのようなことは全くない。教授はとにかくかっこ悪いのだが、そこから滲み出るユーモアと余裕を感じさせる軽やかな筆致から物語が重たくなることはない。むしろ、とにかく楽しい一冊だ。

常に対自(対話)が作品の鍵となるクッツェーの作品に珍しく、ラウリー教授にはその相手がおらず、それを求める物語でもある。しかし、ラストでようやく訪れる教授と娘の対話はなかなか力強い。

「この子に? いいえ。どうして愛せる? でも、愛するようになるわ。愛情は育つものよ。その点は、母なる自然を信じていい。きっと良い母親になってみせるわ、デヴィッド。良き母、良き人に。あなたも良き人を目指すべきね」
「遅きに失したようだな。わたしはもはや年季をつとめる老いた囚人だ。だが、きみは前に進みなさい。じきに子供が生まれるんだし」