愛しのグレンダ

愛しのグレンダ

愛しのグレンダ

1980年に発表されたコルタサルの短篇集。帯に「恐怖、暴力、性、政治性」と重たい言葉が並ぶが、読むにあたってあまり意識しなくともよいだろう。むしろ、同じく帯に小さく書かれた「日常に迫る幻想世界」との惹句のがわかりやすい。

コルタサルの作品では、日常を日常として規定するものは何もない。突然、作品が乱暴なまでに幻想世界へと結び付けられてしまうのだ。オチが唐突とまでに感じられてしまう。しかし、読了後全体を眺めなおすと、現実から幻想へと流れる過程が滑らかであるようにも感じられ、非常に不思議な読後感が残る。

この「現実」と「幻想」とが同一平面状で同じものを構成しているというのが、コルタサルの特徴だろう。その点では、この作品の出だしである「現実」そのものが始めから歪んでいるとも思える。

ふたつの切り抜き」では政治的な暴力の形が、普通の私的な暴力へと飲み込まれていく。当時の政情批判等はさておき、既に日常において暴力が公然と許されてしまっているかのような世界自体、異常と言わざるをえない。
表題作「愛しのグレンダ」も、ある女優への熱狂的なファンの妄想という、ある意味普通の物語だ。この妄想がどんどん肥大化して……というのが本作の眼目であるが、その視線は始めから歪んでいる。「トリクイグモのいる話」も、正体不明の「わたしたち」があるバンガローから隣の囁きを聞く、というそれだけの話だ。が、この時点で「現実」はどこにある?

ごく普通の日常が幻想的にありえない結末へと収束する。この狂気的な流れを楽しみつつも、読後、では「日常」とはなんなのだ? という問いもまた、読者へと突きつけられているように感じてならない。とにかく、恐ろしい文芸だ。
が、この文の芸が極みに達すると、完全に理解できない作品ともなる、のか? 「クローン」と「メビウスの輪」の二編は、内容がさっぱりわからない。