レキオス

レキオス (角川文庫)

レキオス (角川文庫)

1000年の時を経て甦る、沖縄の伝説の地霊「レキオス」を巡る物語……と、ガチガチの沖縄・プリミティヴな世界を描きながらも、そのアプローチは意外なまでにハードSFだったりする。というか、その辺りはあまりよくわからなかったのだが、民俗学的なネタを科学の用語で書き換えていく大胆な試みなのだろう。

その「レキオス」争奪戦もただの女子高生から科学者、米軍、CIA云々と異様でかつコユイ面子ばかり。時間も過去へ過去へと遡り、物語がどこまでも巨大化していく。あとアクションシーンも多彩で一気読み間違いなしの面白さと、何の文句もつけようがない快作なのだが、どうも自分の中でイメージの風化が激しいのは何故だろうか。
オチのイマジネーションが必ずしも好みでなかったからか。あるいは、この「一気読み出来る面白さ」というのが、決して好きではないからか……。心地よい読書体験ではあるが、思った以上にツボにはまらないのが残念。まあ、これを超える傑作らしい『シャングリ・ラ』に期待するか。

個人的に一番好きだったのは、言葉の暴れっぷりだろうか。沖縄とアメリカとの関係(基地問題や、混血など)を描いた作品ではあるが、登場人物の台詞も日本語は当然として英語、ウチナーグチ、またはラテン語や物理学の言語などと、もの凄いごった煮感がしている。これが会話に奇妙なアクセントとグルーヴ感を生み出しており、高速に疾走する物語を大胆にかき回している。とにかく、カッコいいの一言に尽きる。

「アッチ」
「どこなんですか? せめて方向くらい指さしてくださいよ」

家での静かな一週間

初心にかえって、ヤン・シュヴァンクマイエル
アートアニメ(という表記は好きではないのだが)という総じて認知度の低いジャンル(?)において、やはりヤン・シュヴァンクマイエルの認知度と人気はダントツのことだろう。しかし、シュヴァンクマイエル好きといっても、当然様々なタイプがある。
例えば、さほど難解にならず、軽い気持ちで楽しめるアングラ感やとがった感じの現代アート、こういったものの受け皿は日本では殊に大きい(気がする)。シュヴァンクマイエルの認知のされ方ではこれが一番だと思う。作品でいえば『アリス』などの長編や、短編の「フード」。
あるいはチェコ好き。最近東欧雑貨が流行ってることもあって、そういった人もかなり多そう。可愛い顔して、裏がドス黒いという諧謔味(まあ、シュヴァンクマイエルは決して可愛くないが)、お涙頂戴にはならないアイロニー云々といったチェコ人気質に惹かれる人はいるだろう。また、チェコの歴史や政治を踏まえた興味をもつ人もいる。
そして、アニメーション好き。このパターンはあまりいない、気がする。僕が短篇アニメーションに興味をもつ切っ掛けはシュヴァンクマイエルなので、今でも最上のリスペクトではある。が、世界各国のアニメーション技法を眺めた後では、ちょっとシュヴァンクマイエルに引いている気持ちもある。前まで好きだった作品でも、やや物足りなく思うものもある。良くも悪くも、これはアニメーションの入門なのではないかなあ、と。入門としては、あまりに贅沢なレベルの話なのだけれど。
そんなシュヴァンクマイエル作品で、今も昔も一番好きなのが「家での静かな一週間」(たぶん人気は決して高くない)。おっさんがある家に立てこもって、壁に穴あけ隣の部屋を覗く。隣の部屋で椅子や食器や玩具といったオブジェの数々が自由自在に動き回るのを眺める、ただそれだけの話。シュルレアリスムに接近するシュヴァンクマイエルの作品にあって、とりわけシュルレアリスティックだ。というか、このオブジェの世界観はかなり意図的にアンドレ・ブルトンらを意識したのでないかと思われるが。
結局のところ、モノがどのように動く(動かされているか)ということのみに焦点が据えられたような作品。この残像混じりの動きや予想を斜め斜めへと突き抜けていく展開から、極上の連作短篇集といった感じ。ヤン・シュヴァンクマイエルの作品は基本的に、いけな〜い世界に無邪気に近づいていくような醍醐味があるのだが、こういった壁穴の覗きという点にそれが見事現れている。
「動き」を演出するアニメーションとして、覗きという童心じみた悦楽として、これがシュヴァンクマイエル作品として一番原初的な魅力を誇っている。と思うのだが、まあどんなものか。

そして動画が見つからない。
このDVDが一番最初に観たシュヴァンクマイエル。これが最初でなかったら、こうもこの世界にはまらなかったのではないかと思う。それが良いか悪いかは疑問だが……。

八月の博物館

八月の博物館

八月の博物館

「故 藤子・F・不二雄先生に捧げる」とある本作、ドラえもんを意識したような点が多い。《同調(シンクロ)》によって過去へと時を遡るのは、「タイムマシン」を意識しているだろうし、シロナガスクジラの髭とバイオリンの弦といった細かいモチーフもドラえもん譲りか。また、過去のエジプトを舞台に邪神の復活と、それを阻止する冒険ファンタジーは完全に大長編ドラえもんのノリか。そして、後半から物語の作者を巡るメタ・フィクションとしての側面が強くなるが、それも「あやうし! ライオン仮面」を意識させる。あと、満月博士も出てくるし。

小学六年生の亨と、不思議な建物「THE MUSEUMU」での謎の美少女・美宇子との出会い。作家である「私」の小説作法と悩み。そして、マリエット博士のエジプト発掘。主に物語はこの三本から成り立っており、後半に行くにつれ、それが複雑に交差していく。
とはいえ、メタフィクションが読者を混乱に導くような複雑なものでもない。ハードSF的なアイデアもシンプルに料理されており、非常に取っ付きのよい作品だ。古き良きジュブナイルSFといった感じか。
ドラえもんという漫画が「すこし不思議」を超えて、「すごく不思議」なアイデアが大量に投入されているように、本作も多くの驚異に満ちている。それが主に「博物館の博物館」という何でもアリ、四次元ポケットをとっちらかしたような博物館に集約される。博物館、パリ万博、そして長い歴史や国を飛び越えて現れる、多くのモノたち。それに触れる少年の原初的な愉しみ。奇も衒いも無く、物語の極上な魅力に満ちている。素朴ながら、いい作品です。

文字とそうでないものがせめぎ合う狭間、それがミュージアムなんだよ。小説とよく似ていると思わないかい?

百年の孤独

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

昨年度の大きな宿題、結局新年に入って最初に読んだのがこれ。いきなり疲れた(新年最初に観た映画がテオ・アンゲロプロス旅芸人の記録』232分なので、もうグロッキー)。
架空の町マコンドの盛衰史百年を描いた大作。この町を切り開いたブエンディア一家の祖のホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランから物語は云代も下っていく。そのなかで一家の生死、愚行、町の進歩といったものが果てしなく繰り返されるように、ぐるぐると渦巻いていく。長大(超大)な記録だ。
しかし、この壮大さと似たような名をもつブエンディア一家の膨大な登場人物たちから、読んでいるそばから物語が忘却へと追いやられていく。これもガルシア=マルケスの策略ではないかと思うのだが、作品が盛衰史の記録である一方で、忘却を促すような記憶の物語でもあるからだ。
へんなことが起こっても、それが自然な文脈にあるようなマジック・リアリズムで作品が描かれており、途方もないバカ話が延々と続いたりする。魔法の絨毯といった他愛のないものから、伝染病の健忘症から部屋のあちこちに名札を貼るといった行為や、冥界への郵便配達といった次第に、どこか物語がオカシい。しかし、なかでも幽霊(といったものが、ありがちなようだが)の存在は妙にヘンだ。それが幽霊の常か家族や特定の人間の人にしか見えなかったりするのだが、もはや死んだことを忘れてしまっている。後に、自分が死んだことを思い出したら消失してしまうが、ずっと後にまたふらりと登場したりする。現世でもあの世でも癒せないような孤独を、自分のなかの忘却によって上手く支えている。あるいは、アウレリャノ大佐の17人の息子は皆虐殺されていくが、その最後の生き残りも周りの人間の忘却によって、結局殺されてしまう。
この「百年」という長い記録の縦軸のなかに、幾つもの忘却が横軸として組み込まれていく。あるエピソードが予告されて、そこから離れた箇所でそれが詳細に語られたり、物語が反復されるように描かれる。そういった仕掛の一つ一つも上手い。人間の長い営みのなかで、忘却という自然な行為の力強さを妙な形で実感してしまった。ある意味で、「百年の孤独」という巨大な敵への対抗手段のようだ。
最後はある記録の書のなかに物語の枠組みが回収・解消されてしまう。大胆な仕掛と大ホラとで頭が引きちぎれる思いをした。いつか再読したいものだが、そのときにはまた全く異なった感想を抱くことだろうて。

長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを視た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。マコンドも当時は、先史時代のけものの卵のようにすべすべした、白くて大きな石がごろごろしている瀬を、澄んだ水が勢いよく落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

崖の館

崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)

長いこと積んでいて読むのが遅れてしまった一冊。大概が佐々木丸美に対して「少女趣味」と形容されるが、それはある意味では正しい。この作品は主人公の涼子の視点で、「ホカホカ」「ゴロリ」といった擬音語や「お部屋」「おすわりする」なんて可愛らしい接頭語までついている。ここに漠然とした苦手な思いを抱いて読むのが遅れてしまったが、いや、素晴らしい作品であった。結構なアタリ作品。
内容があるのか無いのかといった次第に改行多くさらさら流れるガールズ・トーク(というと全く異なるが。実際、作中からは恋愛の性的な側面はオミットされているし)、あるいはパステルナークやリルケやあるいは芸術観についての青臭いペダントリーと饒舌。文章はふわふわと軽く流れるも、ときおり不安定な涼子の心の内に潜ると、一気に物語の重力が増す。他者への信頼と不安とがないまぜになって、涼子の心象風景はどこまでもドロドロに濁っていき、読者を置いてけぼりにせんばかりの勢いでだらだらと流れていく。エピソードの作り方も上手く、一気に読んでしまった。
そういった両者と共に、シークエンスを繋ぐごとに現れる情景描写のポエジー。「遠く暗い地の果てからおしよせてくるうねり、潮に乗って殺意のメロディを奏でる海の竪琴」といった感じで、詩的や抒情的というよりは、どこか幼げな視点を思わせるポエムとように感じる。現実を離れて完結したような「崖の館」の雰囲気が上手い。
密室殺人、絵画の消失といったミステリ的な要素もあるが、以上の要素を描くための手段程度で、それを期待して読むのはオススメできない。軽やかな少女趣味と、濃密な心象とが異様でパラノイアックなグルーヴ感を作り上げていて、思い切り没頭して読んでしまった。《館》三部作を早く読もう。

私は今、あなたの死を哲学しています。由莉ちゃんが死んで私が生きている。この頼りない事実をとらえたならば私とあなたの境には一枚のうすいガラスがはめこまれているのです。

睦月

結局、新年も本を買う。よく行く某ブックオフにハヤカワ・創元の古いのがごてごて置いてあったが、近所のマニアが亡くなったのだろうか……。

・新刊
イリヤ/エミリア・カバコフ『プロジェクト宮殿』(国書刊行会
D・キシュ/I・カルヴィーノ『庭、灰/見えない都市』(河出書房新社/世界文学全集)
マイケル・シェイボンシャーロック・ホームズ最後の解決』(新潮文庫
デニス・ジョンソン『煙の樹』(白水社/エクス・リブリス)
打海文三『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』(光文社文庫
菊地成孔ユングサウンドトラック』(イースト・プレス
佐藤亜紀外人術』(ちくま文庫
薄田泣菫『独楽園』(ウェッジ文庫
飛浩隆『ラギッド・ガール』(ハヤカワ文庫JA)

・古本
キャシー・アッカー『血みどろ贓物ハイスクール』(白水社
A・E・ヴァン・ヴォクト『非Aの世界』(創元SF文庫)
クリスタ・ヴォルフ『引き裂かれた空』(集英社文庫
マルセル・エイメ『クールな男』(福武文庫)
M・L・カシュニッツ『精霊たちの庭』(ハヤカワFT文庫)
ヤスミナ・カドラ『カブールの燕たち』(早川書房/epiブック・プラネット)
J・M・クッツェー『エリザベス・コステロ』(早川書房

ジャージ・コジンスキー『庭師 ただそこにいるだけの人』(飛鳥新社
クリフォード・D・シマック『愚者の聖戦』(ハヤカワSF文庫)
パトリック・セリー『名人と蠍』(飛鳥新社
ヘレン・マクロイ『暗い鏡の中に』(ハヤカワ文庫)
へニング・マンケル『タンゴ・ステップ』(上下・創元推理文庫
伊井直行『草のかんむり』(講談社文庫)
池上永一シャングリ・ラ』(上下・角川文庫)
大庭みな子『寂兮寥兮』(講談社文芸文庫
大原まり子『タイム・リーパー』(ハヤカワ文庫JA)
梶尾真治『ちほう・の・じだい』(ハヤカワ文庫JA)
金子光晴『どくろ杯』(中公文庫)
国枝史郎国枝史郎ベスト・セレクション』(学研M文庫/伝奇ノ匣1)
小松左京『こちらニッポン…』(ハルキ文庫)
佐藤亜紀『鏡の影』(講談社文庫)
谷川俊太郎編『母の恋文』(新潮文庫
恒川光太郎『雷の季節の終わりに』(角川ホラー文庫
野崎歓赤ちゃん教育』(講談社文庫)
星野智幸『毒身』(講談社文庫)
柾悟郎『ヴィーナス・シティ』(ハヤカワJA文庫)
矢作俊彦『複雑な彼女と単純な場所』(新潮文庫
山田風太郎くノ一忍法帖』(講談社文庫)
吉屋信子『屋根裏の二處女』(国書刊行会
東雅夫編『文豪てのひら怪談』(ポプラ文庫)

2009年度総括?

結局、年末はぐだぐだする内に終わってしまった。
読書も東欧圏に興味をもったり、他各国の文学を読もうと思ったり、エッセイなども読みたくなったり、何もない内に終わってしまった。興味の範囲が広がったせいで、ブックオフでの買い物も無駄に増えて、あまり新刊に手が出せなかったのが残念。
ということを受けて、新年はどうしようとか何も考えていないのだが……。まあ、四月以降にまた環境が変わるので、本が読めなくなることだろうて。

以下、昨年もっとも印象に残った新刊10作。

津原泰水『バレエ・メカニック』
津原泰水にはまって、去年だけで6冊も読んでいたらしい……なんだか勿体ないな。一番好きなのは『綺譚集』だが、長編でのベストは新刊のこれかもしれない。ごりごりの濃密でシュルレアリスティックで、脳髄がとろけます。
これが最高の一冊、あとは読んだ順に列挙。

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』冷たい言い方をすると、小川洋子の入門書になってしまうのだろうか。でも、ひたすらある世界が反復する初期の作風からの変化としては、今後の小川洋子の里程標になるのではないかと。チェスを貪欲に取り込んだ意欲作と思いたい。

デニス・ジョンソンジーザス・サン』
白水社《エクス・リブリス》では、今のところ『通話』が一番人気なのだろうか(年末のベスト本とか見てると)。でも、マイ・ベストはダントツこれ。まあ、内容なんて全く覚えちゃいないけど、脳髄にハンマーを食らわすような強烈な文体でぶんぶんふんまわされた。

片岡義男『花模様が怖い』
年末のベスト本でも、普通にスルーされたような(選集だからか)。でも、文庫王国かなにかで岸本佐知子さんがこれに言及してたような。グラフィカルでクールでプレーンな(?)拳銃短篇集。

ミロラド・パヴィッチ『帝都最後の恋』
なんとなく応援してる《東欧の想像力たち》。ホラ話+遊び心+もって回って、結局何が言いたいのかよくわからない文体……などなど、チャーミングな秀作。

米澤穂信秋期限定栗きんとん事件
前々から応援していた作家ながらも、気がついたら大人気作家になってしもて、逆にあまり読まなくなってしまった。ごめんよ。現代のアントニイ・バークリーを言わんばかりのイヂワルさが大好きです。

ジョー・R・ランズデール『ババ・ホ・テップ』
なんといっても『ステッピン・アウト』が鮮烈だった。最近ミステリが素直に楽しめないのは予定調和的だからということもあって、この「予定調和」から外れるのは大概フランスのミステリ。「ステッピン〜」は普通にアメリカンなエンタメなのだが、腹を抱えるほどにオフビートだった。

ジャック・ルーボー『麗しのオルタンス』
おフランスの前衛的アホ小説が、ミステリとして紹介されぶっとぶ。いざ、読んでぶっとぶ。ぶっとび仲間たちの投票で「このミス!」にランクインいけ!と応援したが、25位くらいだった……お願いだから続編の翻訳頼みます。

イスマイル・カダレ『死者の軍隊の将軍』
やっぱり《東欧の想像力》から。へたれのトホホ感が好き。トホホと表現するにはあまりに重たい徒労感が漂う作品だが、読んでいる間は背筋を冷や冷やさせながらウフウフ言って読んでます。ぜひノーベル文学賞をとって、絶版本を復刊してくださいな。

ドン・ウィンズロウ『犬の力』
正直エルロイほどにははまれなかったのだけれど、エルロイばりのノワールが好きなら必読だろうか。中米という舞台はあまり読んでこなかったけれど、色々と宝庫かもしれない。

新刊はほとんど読まなかったのでバラつきはあるが、そんな感じ。
今年は一層本は読めなくなるので、これからは「好きな本」だけ感想を書き散らかそうか。うん、そうしよう。
実際は、どんなジャンルや作風でも楽しめちゃうぜ! という素直な本読みに憧れるのだけれど、それは難しい。本を読んでいくとジャンル読みとしての小うるささが出てしまうので(だから、最近はミステリが楽しめないのだけれど)。だから、本読みの老害にならないように、まずは素直に本を楽しもう、とポジティブにいきたい(もちろん、とても評価できないような作品はあるけれど)。
ので、★評価も終わり。これからは「好きな本」メインで、「大好きな本」だけカテゴライズしておく(微妙な本は読書メーターでぐじゃぐじゃ言っておく)。